英国旅行
-花薫る五月のイギリスの田園風景を訪ねて-
2009年5月7日〜5月14日
旅程
旅行ルート
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5月7日(木) 天候晴れ
成田空港第1旅客ターミナル
折からの新型インフルエンザ流行禍の中、日本人乗客のほとんどがマスクをしていた。ちょっと異様であった。
11:30 ヴア−ジンアトランテイック航空 VS901にて出発
15:45 ロンドン(ヒースロー)着
20:50 ロンドン(ヒースロー)発
22:10 エデインバラ着 バスにてホテルHoliday Inn Edingburgh North 着
到着時は雨が激しく降っていた。
5月8日(金) 曇
突然雨が降ったり晴れたり、これがスコットランドの気候の特徴のようである。
日本の5月の気候に比べて寒い。
8:40 ホテル出発 貸し切りバスにて世界遺産エデインバラ市内観光
エデインバラ市
エディンバラは、スコットランドの首都であり、ロージアン州の州都。
スコットランドの東岸、フォース湾に面しグラスゴーにつぐスコットランド第2の都市で人口は2012年時点で約48万人。
旧市街と新市街の美しい町並みは、ユネスコの世界遺産に登録されている。
イギリス国内では、ロンドンに次いで観光客が多い町。
1707年のイングランドとの合併によりスコットランド議会は解散するが、その後も、スコットランド人の自主独立と反骨精神の歴史・伝統は引き継がれ、現在も主権国家を目指して独立運動が盛んなようである。
スコットランドの気候
エディンバラ到着時の前線通過時のごとき激しい気候変化と、ゴルフの全英オープン中継の、夏でも寒そうな曇り空が気になりスコットランドの気候を調べてみた結果以下の如きであった。
スコットランドは、緯度が高い割には(樺太の更に北あたりに相当)冬季でも厳寒には至らず、降雪もまれ。
これは、南のメキシコ湾から流れてくる北大西洋海流と呼ばれる暖流によるもの。但し、風が強い日が多く、
時に激しい風が一週間も吹き続くこともある。気温はエディンバラを例にとると夏(7月〜8月)で
10度〜23度程度、冬(1〜2月)でマイナス5度〜プラス5度前後。夏に最高気温が25度を超えることは
まれで、朝・夕に冷え込むこともある。豪雨や長雨は少ないが、年間を通じ小雨が多く、特に冬は湿度が高く
なる。天候が変わりやすいため、一日の中に四季があると言われている。
まさに我々がエデインバラを訪れた際には、そのような変化のある気候であった。
スコットランドとイングランド
エデインバラ到着時、添乗員より、「エリザベス女王の顔の入ってないポンド紙幣があり、これはロンドンでは使えないのでエデインバラで使い切りなさい」とのアドバイスあり、しばしばニュースにもなっているイギリスとスコットランドとの関係を調べてみたら以下の如きであった。
スコットランドがグレートブリテンの一部としてイングランド(その時点でウェールズは併合済み)と連合したのは1707年である。それまではイングランドとの抗争の繰り返しであった。このような歴史的背景を反映して、今でもスコットランド人の根底にはイングランド人に対する強い対抗意識がある。独自の議会及び自治政府があり、イングランドとは異なる法律、教育制度、宗教を保持し、スコットランド独自の伝統文化を堅持している。
その対抗意識の表れがエリザベス女王の顔の入ってないポンド紙幣の発行にあるようだ。
エデインバラ城
キャッスル・ロックという岩山の上に建つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルである。城内の建築物のほとんどは16世紀以前のものだそうである。
エディンバラの要塞はかつて軍事活動の中心地だったが、今もセレモニー用としてエディンバラ城内に駐留部隊がいて、朝6時から9時まで城の城門に歩哨が立ち、スコットランド王の宝冠の警護に当たっているそうである。
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エディンバラ城 ゲートハウス正面
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エディンバラ城 ゲートハウス正面
エディンバラ城 城壁
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エディンバラ城 陳列品建屋
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エディンバラ城 砲台
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エディンバラ城 市街を望む
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エディンバラ城 捕虜の寝所
ホリールード宮殿
エディンバラにある宮殿。15世紀からスコットランド国王夫妻の住居として使われてきたそうであるが、現在はエリザベス2世の夏季の滞在地として使用されているそうである。ホリールードとは、スコットランド語のHaly Ruid(聖なる十字架)を英語化したものである。
ホリールード宮殿
カールトンヒル
街の中心にカールトン・ヒルと呼ばれる小高い丘があり、エディンバラ市内をぐるりと見渡すことができる。
この丘からの眺望は、しばしばエジンバラの絵葉書にもなり、また絵画の題材にもなっているそうである。
丘の麓にホリールード宮殿がある。
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カールトンヒルよりエディンバラ市街を望む
うっすらと雨後の虹が見える
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エディンバラ市街
左の写真の一部分拡大
昼食
レストランでの昼食は、「ハギス」と呼ばれる羊の胃袋へ野菜を詰めたスコットランドの郷土料理でした。(写真下段参照)
エデインバラ市街地スナップ
昼食の料理「ハギス」
市街地 昼食のレストランの店近く
市街地
市内の公園寒い割には花が咲き誇り新緑も眩しい
午後、エデインバラ発 湖水地方へ
エデインバラ観光と同じバスで、広大な丘陵地帯を見ながら一路湖水地方へ。
途中愛の聖地グレトナグリーン(駆け落ち結婚で有名だそうです)へ立ち寄り、夕方カンブリア州のペンリスのシャップの丘陵地にぽつんと一軒だけ建つシャップ・ウエルス ホテル到着。見渡す限り一軒も民家が無い広大な丘陵地で、よく経営が成り立つものだと思ったが、英国人と日本人との価値観の相違なのでしょうか。
グレトナグリーンの愛の像
シャップ・ウエルス ホテル
所々で羊が草を食む広大な丘陵地の一軒家
ホテル直ぐ近くの放牧地
何百年も変わらぬ平和・平穏な風景だと思う
ホテル前景
一軒家だけど宿泊者の車が結構止まっている
ホテル玄関
5月9日(土)
8:15ホテル発 昨日と同じ貸し切りバスにて湖水地方へ。
天候はどんよりとした曇で時々強い雨がバスの窓を叩きつける。見渡す限り広がる広大な丘陵地を車窓に見ながら先ず向う先はグラスミヤである。出発後約1時間足らずでウインダミヤ湖が見え始め、9:15頃グラスミヤへ到着。小雨が降り続いている。
湖水地方とは?
イギリスの湖水地方なるもの初めて知ったので調べて結果、
大昔、北極からの氷河によってできたもので、16の大きな湖と無数の小さな湖が渓谷沿いに重なりあって分布し、イギリスの国定公園に指定されリゾート地として知られているとのことだが、日本の観光地のような賑わいはなかった。
湖水地方の豊かな自然を背景に、世界中で愛される「ピーター・ラビット」を生み出したビアトリクス・ポターや「水仙」などの誌で自然の偉大さを謳ったロマン派詩人ワーズワースと言った著名人を生み出したとのこと。
この湖水地方を旅行して、イギリスといえばロンドンくらいしか思い浮かばない小生のイギリスへの認識をあらたにしてくれた。
湖水地方地図
湖水地方地図 詳細
湖水地方観光ルート
シャップ・ウエルスホテル発→グラスミヤ(ダブコテージ見学)→ホークスヘッド
(ビアトリクス・ポターの世界館、グラマースクール、ヒルトップギャラリー、ヒルトップ農場見学)
→ハーヴァースウエイト→(SL列車の旅)→レイクサイド→(レイククルーズ)→ボウネス
→シャップ・ウエルスホテル着
ダブコテージ見学
ダブ・コテージとは、イギリスの代表的なロマン派詩人ウイリアム・ワーズワースが、29歳の1799年から8年間の最も充実したときを過ごした家のことでグラスミヤ湖の東側にある。
1770年湖水地方に生まれたワーズワースは親友のサミュエル・コールリッジと共に湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然賛美の詩を書いたそうである。主な作品に詩集「水仙」、「プレリュード」、「叙情民謡集」など多数あるそうだ。
ウイリアム・ワーズワースもサミュエル・コールリッジもここを訪れる前まで聞いたこともなかったので以上調べた結果を上述。
ダブコテージ
ビアトリクス・ポターの世界館見学
1800年代後半「ピーターラビット」の生みの親として知られるイギリスの女性絵本作家ビアトリクス・ポターの作品を室内に再現した楽しい世界で、ピーターラビットをはじめ、「アヒルのジェマイマ」、「カエルのジェレミー・フィッシャーが釣りをする池」など多数の作品模型が展示されている。
ビアトリクス・ポターは、ロンドンの裕福な家庭に育ち子供時代から夏の間の避暑にたびたび湖水地方を訪れ、湖水地方の美しさに魅せられていたとのこと。
絵本「ピーターラビットのおはなし」が大ヒットし、その後描いた彼女の絵本などで得た印税で湖水地方の土地や農場を買い、自然環境を守ることに情熱を燃やしたそうである。1944年、77歳で生涯を終えたビアトリクスは、絵本の印税で取得した4000エーカー(1エーカー=1,224坪)の土地をナショナル・トラストに寄贈するという内容の遺言を残したとのこと。
「ピーターラビット」は聞いたことあるが、この作者がビアトリクス・ポターであること、ここを訪れて初めて知ったので調べた結果を上述。
ポターの世界館入口
ポターの作品模型
グラマースクール見学
ワーズワースがケンブリッジ大学入学まで8年間を過ごしたスクールで博物館となっている。この教室には、ワーズワースが学業に励んでいた当時の様子が再現されていて、木製の机にはワーズワースや他の子供たちが彫りつけたいたずら書きなども残っていた。
グラマースクール入口門
グラマースクール建屋
グラマースクール内教室
ヒルトップギャラリー、ヒルトップ農場見学
グラマースクール見学の後昼食を取り、13時15分頃、ヒルトップ農場へ到着。依然雨が降り続いていた。
ヒルトップ農場はビアトリクス・ポターが後半生を過ごしたところで、絵本「ピーターラビットのおはなし」が大成功をおさめると、その収益でヒルトップ農場を購入して湖水地方に移り住み、「ピーターラビットのおはなし」シリーズを書き続けたそうである。
ビアトリクス・ポターは、自分の死後も湖水地方をそのままの姿で未来に残したいと考え、ヒルトップを含む14の農場と所有していた土地のほとんどすべてをイギリスの史跡自然保護団体であるナショナルトラストに寄付した。ナショナルトラストは、ビアトリクス・ポターの遺言にしたがってヒルトップの内部を彼女が生前暮らしていたままに保存し一般に公開している。
ギイギイときしむ古い床板を踏んで、ギャラリー内の部屋や廊下を歩む先々でビアトリクス・ポターが絵本に描いたシーンの実物の家具調度、ドールハウスなどに出くわす。また、部屋の窓から外の景色をながめれば、そこにも絵本の中でおなじみの風景が目に入る。
ヒルトップギャラリー
ヒルトップ農場
SL列車の旅
14時半ごろハーヴァースウエイト到着。青空が見えてきた。
やがてSL列車が到着して、15時10分ハーヴァースウエイト発、レイクサイドまで約20分のSL列車の旅。
SL列車乗車駅
SL列車
SL列車へ乗車
沿線に咲く花
ウインダミヤ湖レイククルーズ
15時50分レイクサイド発、湖水地方最大の湖ウインダミヤ湖を船に乗り、ボウネスまで30分の船旅。やっと晴れて周囲の景色が雨に洗われ太陽に映えて澄んで見えた。16時20分ボウネス着。
レイククルーズ船
船からの景色
ボウネス→シャップ・ウエルスホテル
16時30分ボウネス発、17時30分頃シャップ・ウエルスホテル着。3泊目を迎える。
夕食時は丁度隣の部屋で結婚披露宴が開かれにぎやかであった。また、夕食後はボランテイアでやっているというアコーデイオン奏者の音楽を聴き癒された。
ホテルへ戻るバスからの眺め
ホテルでの夕食のチキン料理
アコーデイオン奏者
5月10日(日)
8:30シャップ・ウエルスホテル発 天候は曇。
エデインバラからの同じ貸し切りバスにて、ローマ時代からの城塞都市チエスター→ストーク・オン・トレント、ここでイギリスを代表する陶器メーカーウエッジウッド・ビジターセンターを見学→本日の宿泊ホテルのあるストラトフォード・アポン・エイボンへ、丘陵地を見ながらの旅である。
チエスター
ウエールズ北部との国境近くにある街チェスターは、赤茶色の城壁に囲まれた城塞都市で、イングランドで最も中世の面影を残す街といわれている。古代ローマの時代にローマ人がこの地に要塞を構えたのが始まりで、中世にはアングロ・サクソン人やノルマン人が移住し、城壁を拡張し要塞都市を形成したのだそうである。
美しい街並みと古い歴史が共存する街で、チェスター大聖堂、イースト・ゲート時計台、ザ・クロス、そして城壁からの眺めなど静かな街の散歩を楽しんだ。
チェスター市街の地図 ピンクは城壁
チエスター市街(ショッピングストリート)
チェスター大聖堂
チエスター市街(イーストゲートストリート)
イーストゲートの時計台(チエスターのシンボル的な存在だそうだ)
城壁と荘重な赤レンガの建屋(右側の城壁の歩道より写す)
チエスターでの昼食の「パイ料理」
ウエッジウッド・ビジターセンター
チェスターからストーク・オン・トレントという町へ移動。ここでウエッジウッド・ビジターセンターを訪問。
ウェッジウッド(Wedgwood & Corporation Limited)はイギリスの陶磁器メーカー。ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立され、ロイヤルドルトン社と並ぶ世界最大級の陶磁器メーカーの一つであるそうだ。主に高級食器を製造・販売しているが、アクセサリやタオル、テーブルクロスなども扱っているとのこと。
ウエッジウッド・ビジターセンター
チヤ―ルコート・フェザント・ホテル
翌日撮影 よく晴れている
5月11日(月)
昨夜はストラトフォード・アポン・エイボンという町のチヤ―ルコート・フェザント・ホテルへ宿泊。
8:00にこのホテルを出発。英国へ来て以来始めて朝から青空の好天。これから、エイボン市内のシェイクスピアの生誕地を見学→コッツウォルズ地方観光→ロンドン市内遊覧へ。
シェイクスピア生誕地
ストラトフォード・アポン・エイボン市内にあるシェイクスピアの生誕地を見学。
シェイクスピア生誕の家
同左入口門
入口門に掛かっている案内板
コッツウォルズ地方
コッツウォルズはイングランド中央部に広がる丘陵地帯の総称で、古い時代には「羊小屋のある丘」とも呼ばれていたそうである。イングランド中央部の丘陵地にひろがる豊かな緑に囲まれたコッツウォルズは特別自然景観地域に指定され、のどかなカントリーサイドの村々には古い石造りの建物が並び、わら葺きの民家や羊の姿が見られるそうである。
コッツウォルズ地方観光として今回我々が訪れたのは、最初にボートン・オン・ザ・ウオ―ター(9:40頃着)、そしてそのあとバイブリー村(10:40頃着)である
ボートン・オン・ザ・ウオ―ター
ボートン・オン・ザ・ウォーターは、街の中心にウィンドラッシュ川が流れる、水辺の風景の美しい町。
コッツウォルズのベニスと呼ばれ多くの観光客が訪れる人気の観光スポットだそうである。
コッツウォルズ地方の家々の壁や屋根に使われている石は、すべて村の採石場から採られる「コッツウォルズストーン」(この地方の石灰石)で建設されているそうだ。「コッツウォルズストーン」は、柔らかで素朴な質感の蜂蜜色をしていて、家々の壁や屋根の微妙な色合いの相違が村の個性を引き出してくれているそうである。
ボートンオンザウオーター案内図
静かなボートン・オン・ザ・ウオ―ター
ボートン・オン・ザ・ウオ―ター ウィンドラッシュ川
ボートン・オン・ザ・ウオ―ター
スケッチする人
ボートン・オン・ザ・ウオ―ター
「コッツウォルズストーン」の家
バイブリー村
村の中心を流れるコルン川と周りの景色、そしてアーリントン・ロウという小道に沿って並ぶ古い石造りの建物(14世紀に羊毛を入れて置く為の倉庫として建てられたと)など、バイブリー村は「英国で最も美しい村」と評されているそうです。
バイブリー村案内図
のどかなバイブリー村 水鳥遊ぶコルン川
のどかなバイブリー村 コルン川の清流
アーリントンロー 履歴の記録?
アーリントンロー 石造りの家
バイブリー村を11:30に出発。途中、マナーハウスにて昼食のアフタヌーンテイ―を楽しむ。14::00マナーハウス発、一路ロンドンへ。
アフタヌーンテイ―のケーキ類
ロンドンに近づくにつれて増えた沿道の菜の花畑
ロンドン市内遊覧
ロンドン塔→タワーブリッジ→バッキンガム宮殿→ウエストミンスター寺院→ビックベンのある国会議事堂などロンドン市内を、エデインバラからの貸し切りバスにて遊覧。
ロンドン塔
テムズ川岸に築かれた中世の城塞
タワーブリッジ
テムズ川に架かる跳開橋。1884年着工、1894年完成。
バッキンガム宮殿
イギリス国王の宮殿。外周護衛を担当する近衛兵の交替儀式は有名。
ウエストミンスター寺院
イングランド国教会の教会。戴冠式などの王室行事が執り行われる。
国会議事堂(ウエストミンスター宮殿)が隣接。
ビックベン
英国国会議事堂(ウエストミンスター宮殿)に付属する時計台の大時鐘の愛称。
そして、本日の宿泊ホテル、ホリデイイン・ケンジントン・フォーラムに到着。
ここで、エデインバラ市観光から4日間吾々とおつきあい頂いたバスのドライバーさんと
お別れ。お別れの挨拶で「ロンドンへ来たのは十何年ぶり」とのことを聞き、イングランドとスコットランドとの確執の深さのようなものをあらためて感じた。。
5月12日(火)
一日自由行動であったが、大部分の人は午前中それぞれ好きな所を観光して、午後大英博物館へ、夕方テムズ川クルーズのオプショナルツアーを楽しんだ。
オプショナルツアーを楽しんだあと、地下鉄でホテル、ホリデイイン・ケンジントン・フォーラムへ帰ってきた。
ロンドン塔
タワーブリッジ
バッキンガム宮殿
バッキンガム宮殿衛兵の交替
ウエストミンスター寺院
国会議事堂
大英博物館
クルーズ船より夕暮れのロンドンアイ
5月13日(水)
13:45 VS900便にてロンドンヒースロー空港発
5月14日(木)
09:30 参加者全員無事成田着。新型インフルエンザに罹らずよかった!←2009年当時は「新型インフルエンザ」と呼んでいたようだ(2020年3月記)