-夢のスペイン10日間-

平23 6/07(火)〜6/16(木)

1日目 平23 6月07日(火)09:30 成田発 ルフトハンザビジネス
同日14:20 フランクフルト着 所要時間:11時間50分
同日15:40 フランクフルト発 ルフトハンザ
同日18:15 マドリード着 ホテルへ

2日目 6月08日(水) 曇り オプションツアーとしてセゴビアとアランフェスを観光
・セゴビア
 セゴビアはマドリードから約95qの距離にありバスで移動。セゴビアは15世紀にカスティーリャ王国(スペインの前身の王国)の中心地として栄えた街で、今でも旧市街は城壁に囲まれていてローマ水道橋と並んで世界遺産に指定されている。
 セゴビアのローマ水道橋は、古代ローマ時代の紀元前1世紀頃に造られたとみられ、ヨーロッパ各地に残る水道橋の中で最も美しい橋の一つと言われている。モルタルなどの接着剤は一切使わず、花崗岩のブロックを積み上げただけのもので高さ28m、全長728mの2段アーチ構造の水路である。20世紀に入ってもセゴビアへの水道水供給の水路として使われていたそうである。
 旧市街の中心地はマヨール広場で、ここには16世紀に再建されたカテドラル(聖堂)がある。後期ゴシック様式で繊細さと優雅な雰囲気からカテドラルの「貴婦人」と言われている。
 元々は王家の居城であり、優雅な外観からディズニーの「白雪姫」のお城のモデルになったと言われるアルカサルも旧市街に隣接して岩山にそびえ立っていた。

・アランフェス
 18世紀後半に完成した王宮を中心とした自然豊かな王家の離宮の街。広大な中庭を持つ王宮を始め
「島の庭園」、「王子の庭園」など世界遺産に登録されている。


・マドリード市内ホテル泊まり
 ホテルでオプションのフラメンコディナーショーを見物


3日目 6月09日(木) 晴れ マドリード市内観光し、世界遺産の地トレド並びにコルドバへ
・マドリード
 標高646mの高地にある人口約325万のスペインの首都。16世紀半ばスペイン王国の時代に官邸がマドリードに移され事実上の首都となったそうである。プラド美術館(パリのルーブル博物館、ロンドンのナショナルギャラリーと並びヨーロッパ3大美術館の一つだそうである)、王宮、スペイン広場など約1時間半市内を観光。そして約70q離れたトレドへ約1時間15分かけてバスで移動。
・トレド
 ローマ時代には一城塞都市であったトレドは、6世紀に西ゴート王国(イベリア半島一帯を支配したゲルマン系王国)の首都となって以降、16世紀になってのマドリード遷都まで都として栄えた。その間さまざまな民族に支配され、キリスト、ユダヤ、イスラム教が混在する独特の文化が育まれ、現在もスペイン・カトリックの総本山として宗教の一大中心地としての位置を保っているとのこと。また、スペイン絵画の三大巨匠の一人と言われる画家エル・グレコがほとんどの生涯をこの地で過ごし、彼の多くの作品が保存されている。タホ川に囲まれるように建ち中世の面影を残す街トレドは世界遺産に指定されている。

 トレドを観光後コルドバへ。344km5時間のバスの旅。20時頃コルドバのホテル着。
4日目 6月10日(金) 晴れ
・世界遺産のコルドバ歴史地区を観光
 コルドバは、紀元前ローマの植民地時代からアンダルシアの中心地だった。8世紀にイスラム教徒の侵入が
始まり後ウマイア朝の時代には、ヨーロッパ並びに北アフリカのイスラム教国の中心地として人口100万人の
大都市として栄え、モスクの数は300を超えた。後ウマイア朝はその後分裂し、レコンキスタ(複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動)によってイスラム教徒が去っていくとコルドバの町は次第に衰退していった。現在は人口30万人の静かな町だが、かつてのイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つの文化が共存・融合して隆盛を極めた足跡を、メスキータ(モスク)やユダヤ人街などの中に見ることができる。

・メスキータ
 コルドバのシンボルであるメスキータとは、スペイン語でモスクの意であるが、一般的には固有名詞として「コルドバの聖マリア大聖堂」を指す場合が多いそうだ。
後ウマイア朝の創始者アプド・アッラフマー1世の命により785年に建てられた。4回拡張され、数万人を収容できる巨大なモスクとなった。
その後13世紀キリスト教統治時代には内部にカテドラルが造られ、イスラム教とキリスト教の2つが共存する珍しい建物となった。薄暗い闇の中に浮かび上がる赤茶と白の馬蹄型のアーチが幻想的で美しい。

・旧ユダヤ人街と花の小路
 メスキータの北側にかつてのユダヤ人居住区がある。イスラム支配時代に西カリフ国(後ウマイア朝の別称で都はコルドバ。バグダードを都とするアッバース朝を東カリフ国と言うのだそうだ)の経済を支える存在として厚遇されたユダヤ人は、レコンキスタ完了後の1492年に布告されたユダヤ人追放令によってこの町から姿を消した。
細い路地が迷路のように入り組み、両側の白い壁に植木鉢がびっしり吊るされ、赤やピンクの花が咲き乱れる美しい「花の小道」がある。

 コルドバを観光後セビージャ(セビーリャ)へ。約137km2時間のバスの旅。
・セビージャ(セビーリャ)  ローマ時代(紀元前1世紀〜紀元4世紀頃まで)にはすでにアンダルシア地方の中心都市の一つとして栄え、8世紀以降は侵入してきたイスラム教の下でさらなる発展を遂げた。
そして、現在もアンダルシア地方の中心都市として人口70万人のスペイン第4の都市。闘牛やフラメンコの本場。ビゼーのカルメン、ロッシーニの「セビリアの理髪師」、「フィガロの結婚」などの舞台となった街でもなじみ深い。
大航海時代には新大陸との交易港として栄える。コロンブスの新大陸発見以後、セビージャはアメリカ大陸への旅の拠点となった。1519年に世界一周の旅に出たマゼランもセビージャから出発している。海に面してないセビージャなのに交易港として栄えたのは、街の中心付近を流れるグアダルキビル川のお陰である。つまり川港なのである。
・スペイン最大規模の大聖堂(カテドラル)
 世界ではローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次いで3番目の規模。
13世紀半ば、それまでイスラム寺院であったが、レコンキスタによりキリスト教聖堂として造り替えられた。12世紀の終わりには、大聖堂の隣に街のシンボルとしてヒラルダの塔が建てられ、その上から街を一望できる。

 セビージャを観光後宿泊地ミハスへ。約236km 3時間30分のバスの旅。途中ひまわり畑を見物。ミハスのホテル着20:30.

5日目 6月11日(土) 晴れ
・ミハスの村散策
 山の中腹にありローマ時代からの古い歴史を持つ町。白い家並みが続く町は「白い村」と呼ばれている。

・フリヒリハナ散策
 ミハスから約97q、バスで約1時間のフリヒリハナを散策。ここはスペイン南部・アンダルシア地方にある「白い村」と呼ばれ小さな村。スペインの「白い村」で一番有名なのはミハスだが、フリヒリハナは素朴な美しさが持ち味である。

 約107q バスで約1時間40分のグラナダへ
・グラナダ
 紀元前5世紀頃、ローマ帝国時代からの都市で、イスラムの支配下に入った8世紀以降も発展を続け、13世紀にナスル朝グラナダ王国の建国によってその繁栄は絶頂期を迎えた。 世界有数の歴史遺産であるアルハンブラ宮殿の建築が始められたのもこの頃である。
 その後15世紀末までの250年間グラナダ王国は政治、経済、文化の都として繁栄を極めた。1492年キリスト教徒に奪還されるが、781年間にわたったイスラム支配の影響が色濃く残されている。イベリア半島最後のイスラム王朝が栄えた古都である。
・アルハンブラ宮殿
 スペイン最後のイスラム王朝・ナスル朝の王宮である。敷地内は、宮殿内で最も古い城塞部分であるアルカサバ、王の居住であった王宮、夏の離宮ヘレナリフェ庭園と3つに分けられる。イスラム芸術の最高傑作と言われている。

 グラナダ市内のホテルへ 18時着

6日目 6月12日(日) 晴れ
   ラ・マンチャ地方へ 約308q バスで約4時間30分
・ドン・キホーテの像が飾ってあるレストランで昼食

・カンポデクリプターナの風車   ミゲル・デ・セルバンテスが著した小説「ドン・キホーテ」で主人公が巨人と勘違いして突進した風車群のモデルであるとされる。

 バレンシア近郊の観光地アルファファールへ 約281q バスで約4時間 19時30分ホテル着

7日目 6月13日(月) 薄曇り
   バレンシアへ 約7q バスで10分
・バレンシア市内観光
 バレンシアは人口約80万人のスペイン第3の都市 1年を通して温暖な気候のためヨーロッパ屈指の農業地帯である。オレンジなどの果実や米の産地で、パエリアの発祥の地でもある。

・カテドラル(大聖堂)
 1262年、イスラム時代のモスク跡に建設が始まり、15世紀に完成を見るまでにおよそ200年の歳月を要した。世界遺産。

・ラ・ロンハ
 ロンハとは「取引所」「市場」という意味。 15世紀に建てられたゴシック様式の建物で、絹の取引所として使用されていた。入口正面や天井などの彫刻、ゆるやかにねじれた柱などが見もの。世界遺産。

このあと、タラゴナへ 約260q バスで約3時間30分
 途中、ペニスコラと言う地中海沿岸の小さな美村で昼食を取る。ここは日光を求めてやってくる北ヨーロッパからの観光客に人気の観光地だそうである。昼食は「メルルーサ」と言うタラに似た魚料理であったが詳細は憶えてない。

タラゴナ(Tarragona)は、スペイン・カタルーニャ州にあるり人口34万人の県都。、古代ローマ時代に築かれた水道橋や円形競技場などの遺跡が今でも残り、これらは世界遺産に登録されている。
・ラスファレス水道橋
 タラゴナ郊外の山中にひっそりと佇むローマ時代の水道橋跡で、石造りの橋は全長217m、高さ27m、幅2m、橋の上には幅1mの水路がある。スペインで現存する橋の中ではセゴビアの水道橋に次ぐ規模の橋である。訪れた際には工事中であった。 な水道橋跡。

・ローマ時代の円形競技場
 ローマ時代の2世紀末に建築された巨大な円形競技場で、剣闘士同士または猛獣との戦いが見世物として行われ、また死刑囚の処罰も行われていたそうである。

このあと、バルセロナへ 約102q バスで1時間30分 ホテル着20時

8日目 6月14日(火) 晴れ
 バルセロナ市内観光
 バルセロナはカタルーニャ州の州都であり、バルセロナ県の県都でもある。人口はマドリードに次いでスペインで第2位(行政市として約160万人、2015年の都市圏人口は421万人)。国際的な観光都市であると同時に、国際会議が世界で最も多く開かれる都市の1つ である。
 バスガイドの説明によると、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方は、気候に恵まれて農産物も豊富、地中海に面してフランスやイタリアにも近い、などで、昔から誇りと独立心を持っていて、マドリードを中心とするスペイン国に対して対抗心を抱いているそうである。かつて、英国のエジンバラを訪れた時に聞いたスコットランドとイングランドとの関係を思い出した。
 更に記憶を新たにしようと蛇足ながら、1992年バルセロナオリンピックが開催され、平成最初の夏季五輪であった。そこでの日本人の金メダルは、競泳女子200m平泳ぎの岩崎恭子、柔道男子71kg以下級で古賀稔彦、柔道男子78kg級以下で吉田秀彦らであった。
 また、リオネル・メッシを擁する欧州サッカーの名門「FCバルセロナ」チームの本拠地でもある。

・サグラダファミリア(聖家族教会)
 1882年に建築家フランシスコ・デ・ビヤールが着工し、1891年からアントニオ・ガウディが引き継いだが、彼の死(1926年)後、いまだ建設が続く未完の教会。完成は50〜100年後と云われていたが、最近の情報では2026年完成を目指しているそうである。因みに2026年は、ガウディの没後100年にあたる記念の年でもあるそうだ。。2005年に未完成の状態でユネスコの世界遺産に登録された。

・グエル公園  アントニオ・ガウディのパトロン(経済的な支援者)でありよき理解者でもあったグエル伯爵と組み、都市再開発事業に臨み手がけた公園。トカゲのオブジェがシンボルで、色鮮やかなモザイクや波打つベンチが美しい。バルセロナの街が一望でき、バルセロナ市民や観光客の憩いの場となっている。1984年にユネスコの世界遺産に登録された。

・奇岩モンセラット観光  バルセロナ近郊にある山である。サンタ・マリア・モンセラート修道院付属大聖堂がある。キリスト教の聖地とされている。オプションとして参加した。

やっとこさスペインの旅行記録を完了することができた。記録によると昨年の5月に始まって10か月かかったことになる。スペイン国内滞在7日間と長く、歴史的なことを調べたりして時間を費やしたが、それだけ見どころの多い国であるということだろうと思う。 2021年3月1日 記

9日目 6月15日(水) 晴れ
 朝5:30ホテル発 バルセロナ空港へ
  8:30バルセロナ発 フランクフルトへ 2時間15分
  10:25フランクフルト着   13:40フランクフルト発 成田へ 約11時間
10日目 6月16日(木)
 朝7:40成田空港着

以下 後報

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